生きづらさから派生した「二次的生きづらさ」
二次的な生きづらさ?
前回の記事で、私にとっての生きづらさの正体のようなものがわかりかけていると書きました。
「期待と現実の乖離」
今は良い本やブログやサポートがあって、この乖離を埋める為に、トライ&エラーですが色々試していて、いつかは少し楽になれる気がしています。
でも、この生きづらさから派生してしまった習性や属性が染み付いていて、それがさらに生きづらさを生み出しています。
というより、この「二次的生きづらさ」の方が、とてもきつい。本当にきついです。
私の抱える二次的生きづらさを、順番に書いてみます。
いつも人に合わせてしまう
前回の記事で、人をつい喜ばせようとしてしまう人のことを、英語圏ではPeople-pleaserとか、Doormatと呼ぶお話をしました。
こういうパーソナリティの持ち主は、自分の中に基準がないらしいです。
他人に承認されることが、自分の行動基準になっているのです。
私の場合、何かを誰かとする時に、その人の意向を尊重することが、ほぼデフォルトポジションになっていて、もはや、私はどうしたいのか?と言われても分からないくらいです。(あるとすればできるだけ早くその人から逃れたいくらい笑)
そういうときの相手方は、普通の人たちです。だから私が「こうしたい」と言っても問題なく受け入れてくれそうなのに、全く自分を主張する気がしないのです。
でも、合わせ続けるのは何だか苦痛になってきます。自分で合わせているのに、おかしな話です。
人に疎まれる
上記と関連するものですが、Doormatになる人は、長いことそうしていると、相手に対して怒りを感じて、Passive-aggresiveになっていると言われます。
Passive-aggresiveというのは、「受動攻撃性」と訳されていますが、自分がへりくだる体で、相手の弱みをつくみたいな感じです。
自分ではそんなつもりがないから余計に厄介です。相手も相当の鈍感じゃなければ気づきますよね。
それと、Doormatになる人は、自分の顔に「私をあなたのDoormatにしてください」と書いてあるらしいです。
人をいらっとさせる顔つきをしているのかもしれないと思います。
いじめの対象になる
孤立しがちなので、学校ではいじめのターゲットになりやすく、また社会人になってからはいじめほどあからさまではないものの、パワハラや仲間はずれといった憂き目を見がちです。
被害妄想も入っているのかもしれませんが、ある程度現実ではあると思います。
争いが極端に苦手
人に合わせてしまうのは、対立や諍いを極端に恐れていることにも原因があると考えています。
自分が先に戦いを降りて、その芽を摘んでしまうのです。
道を歩いているだけでも、人に迷惑がられないよう、怒らせないよう、ビクビクしています。
仕事が続かない
2〜3年のサイクルで、仕事を移ってしまいます。
海外だと転職が普通なのもあってあまり目立たなかったのですが、日本ですと転職回数の多さに驚かれます。
ステップアップのための転職というより、だいたい、職場の人間関係にひっそりと嫌気がさして、辞めてしまいます。
職場の権力者に嫌われ、退職に追い込まれたこともあります。
抑うつ気味
子供の頃から、やる気のない子、根気のない子と言われていました。
いつもぐったりした気分で、どんよりと重い気持ちでした。
まとめ
二次的生きづらさ、本当に辛いです。辛すぎます。
でも、これを克服する道は、どんなに頑張っても見えてきません。
なので二次的生きづらさについては、もう諦めることにしています。
そういう人間なんだな、そういう運命なんだなって。
軽めな気持ちでさらっとしていると、少しだけ楽です。
っていうと、これでブログ終了、となってしまいそうなんですが(笑)。
Passive-aggresiveだけは、何とかしたいと思っています。天気や時事ネタだけ話す、とか。相手の相談には真剣に回答しない、とか。