生きづらさを根本的になくすのは無理かもしれない
このブログの目的は、生きづらさを返上して楽しく生きることを模索する事です。
それは、生きづらさがもたらす苦しさに、個別的な、そして現実的な対応を模索する、という意味です。
これまで、何十年かに渡って、生きづらさを根本的に克服しようとしてきました。
でもそれは無理でした。時間とお金をつぎ込んで辿り着いた結論です(笑)。
当たり前の事のようですが、これを心の底から実感できた事が、私にとってはターニングポイントでした。
なので、生きづらさに対して個別的な、現実的な対応をしていくことにシフトチェンジしています。
生きづらさを生み出したのは、私の場合は、おそらく間違いなく家庭環境です。特に、母親との関係。
うつ症状がひどくなったときに、精神的カウンセリングを受け、この家庭環境部分を丁寧に掘り起こして、先生と対話する作業をしました。
正直とても辛い作業でした。多分、私の中のインナーチャイルドを慰めるといったような目的があったんだと思うし、ここを乗り越えなければ、根本的なうつ体質の改善にはならないというような説明をされたことを覚えています。
私にとっては、この家庭環境部分は、闇が大きすぎて、掘り返すごとに、もう一度真剣に悲しまなければならなかった。
で、結果としてさらに悪化しました。
私にはこの「掘り起こし」法は合わなかった、というだけなんですけど、カウンセリングはやめてしまいました。
母親に直接、対話を試みたこともありました。でも、これも全くと言っていいほど、何もいい結果を生まなかった。
過去の辛かった出来事を話しても、いろいろと母親なりの理由を聞かされて、一層辛くなるだけでした。
いい年になって親を責めるのも、泣かれるのも、本当に気分の悪いものでした。
その他、アダルトチルドレンの本などを乱読したりもしましたが。。
根本的に解決することは無理、としみじみ思うに至りました。
この重苦しい、私の記憶の中核は、ずっと背負って歩くしかないのだと。
徳川家康公だって、「人の一生は、重き荷を負うて、遠い道を行くが如し」と言っているし、そういうものなんですね。
この気づきを得るのに、大枚をはたき、涙をたくさん流してしまいました。